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DV冤罪
 
   
   
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投稿者 スレッド
たつパパ
投稿日時: 2007-3-24 12:05
半人前
登録日: 2007-1-11
居住地: 福島
投稿: 32
DV冤罪
『虚偽のDVで離婚って・・・。』
の、たつパパです。

あいかわらず、妻と子供たちの居場所は分からず、子供の声も聞けず、3ヶ月が経過しました。

あと数日で、2回目の調停です。今度は、監護者指定請求や、引渡し請求を視野に入れてます。
また、私と妻の日常や、子供の面倒を見ていたのは実際には私だという証言者による証明書の提出もします。弁護士や、離婚アドバイザーによると、これがかなり有効だと言ってます。

100%嘘を言ってる妻や妻の家族。どうしたらこのような事ができるのか、いまだに不思議です。

私は、人間不信になり、子供にも会えない苦痛により、『うつ』になってしまい、心療内科に行きましたが、皆さんはどのように克服してますか?

現在は、薬を服用することにより、だいぶ楽になりましたが、夜寝てるときなどは、悪夢に見て飛び起きることがまだあります。

しかし、泣き言ばかり言ってられないので、このサイトで知り合ったパパたちに助けられ生き延びてます。
アールパパ
投稿日時: 2007-3-24 16:57
長老
登録日: 2006-9-16
居住地: 愛知県
投稿: 776
Re: DV冤罪
たつパパさんへ

私も一時期は、精神科でお薬をいただてました。
おかしくもなりますよ、ただ事ではないのですから。
ただ、まだまだ世間では心療内科や精神科にかかると、これも偏見の目で見られると思いますので、そんなことにも残念ながら乗り越えて、踏ん張りましょう。
自らも思うのは、たとえ薬に頼って(←これこそ、私も偏見?)でも、睡眠をとられることが一番だと、私は思います。
まずはご自身が保られてこそ、未来の希望があると思います。
たぶん、今は「頑張る」という言葉が、たつパパさんに言ってはいけない時期のことでしょうが、ご自身の心の中で「頑張らなきゃ」と希望をもつキーワードとして持たれてはと思います。
私は、当時人から「頑張って!!」と言われると、「頑張れる訳ないだろ!」とか「だったら、救ってくれ!」とか思ったりしましたっけ。
いまは、
>今度は、監護者指定請求や、引渡し請求を視野に入れてます。
と、仰るように具体的な行動目標をお持ちなので、踏ん張りましょう。希望があってこその未来です。

ここに集う先人たちや同じ境遇や経過を過ごした人たちも、残念ながらたつパパさんと想いにもった人たちばかりだと、私も信じまています。

たつパパさんへ
でも、無茶はダメですよ。
当事者として、客観性が欠けるにしろ、いろいろな人たちに意見や考えを聞きながら、前進しましょ。
たつパパ
投稿日時: 2007-3-25 10:38
半人前
登録日: 2007-1-11
居住地: 福島
投稿: 32
Re: DV冤罪
 最近、ようやく落ちついてきたので、妻との出会いから、今までの流れを書いて見ました。               
 

○平成13年に、私の後輩の佐藤と妻の百恵(私の妻の幼少期からの親友)の紹介にて、現在の妻を紹介される。数回、食事や電話などはしたが、その後、連絡が途絶える。

○平成14年ごろに、佐藤が経営する、○○工業の、釣りの大会に呼ばれた。その時に、現在の恵津実に再開する。私は、ぜんぜん気にしてなかったが、恵津実は、意識してたらしく、その日を境に、また電話がくるようになる。

○わたしは、当時、付き合ってる女性がいなかったので、自然の流れで付き合うこととなった。

○当時、わたしは、自分の実家から、会社まで通勤していたため(片道30キロ)通勤の利便性もあり、妻のアパートでの同棲となる。

○同棲しはじめたころから、おかしいな。と思ってたのは、ピンクの歯ブラシとブルーの歯ブラシがあり、そのブルーのほうの歯ブラシを私に使えというのだ。どう見ても使用感があったので、前の彼氏のじゃないのか?と聞くと、ものすごく怒り出し、
なんでそんな事言うの?私が使ってたやつだよ。と・・・。そこでまた問い詰める訳にもいかず、その日から、私は、そのブルーの歯ブラシを使ってました。

○そんなこともありましたが、それから数日は普通に同棲生活を楽しんでましたが、今度は、携帯電話のことでおかしいと思いました。それは、1日に何回も、妻の携帯に、電話の着信や、メールが頻繁にくるのですが、その電話に出ようとしないのです。
そんな日が何日も続いたある日、あまりにしつこい電話(5分おきくらいに鳴るので)妻に、一体誰なんだ?と聞くと、会社(当時の妻の会社は、○○運送という会社)の人で、多分仕事のことだよ。という。じゃあ、仕事のことなら出ないと駄目だろう。というと、くだらないことだから出なくてもいいんだ。というのです。あきらかになにか隠してるようだったので、この話の最中にも鳴り続けてる電話に私が出ました。そうしたら、男でした。名前は、『佐藤 健一』と名乗りましたが、私が、今、俺が妻と付き合ってるから、もう電話してくるな!と、一喝したところ、電話は来なくなりました。わたしは、妻から嘘をつかれてたのです。しかも、その『佐藤 健一』は、同じ会社の同僚で、結婚していて、子供もいる、いわゆる不倫だったのです。そして、そのアパートで、半同棲をしていたのです。すべて妻が白状しました。ブルーの歯ブラシも、『佐藤 健一』の使ってたものと聞き、私は、怒りと悲しさで、妻に別れを告げ、後輩の『佐藤夫婦』の家へと向かいました。そして、彼氏がいないという妻の嘘に、紹介者の『佐藤夫婦』も、憤慨し、恵津実を、『佐藤夫婦』の家に呼び、4人で話すこととなったのです。妻に対しての佐藤夫婦の怒りは相当でした。当事者のわたしも、妻がかわいそうになるくらいの怒り様でした。そうして、佐藤夫婦の佐藤百恵が、親友に裏切られたということで、佐藤夫婦としては、妻とは、もうこれ以上付き合う気は無いということになり、私が妻と交際を続けるなら、私との付き合いも辞めるということになり、私は、少し考えさせてくれ。ということになりました。
そして、妻が先に帰り、しばらく3人で話をしました。私は、妻が、なぜこんなことしたのか?という真意が知りたくて、その足で妻のアパートに向かいました。
妻は泣いてました。そして、わたしに本当にごめんなさい。と・・・・。
しかし、私は、佐藤夫婦との絶縁も、後ろ髪ひかれる思いがあったので、2〜3日考えさせてくれと言い、大玉村の実家に戻りました。
2〜3日考えて、わたしは、妻を取りました。私も妻が好きでしたし、妻の、私に対して、こんなに好きになった人に出会ったのは初めて。という言葉を信じようと思ったからです。そして、後輩の佐藤夫婦のところへ、妻を取り、佐藤夫婦と絶縁することを告げに行きました。当初、佐藤夫婦はびっくりしてましたが、私が決めたことだから。と、こころよく見送ってくれました。1回目の絶縁です。

○また、同棲生活がスタートした頃、妻は、『○○運送』を辞めました。俺も、前の彼氏が同じ職場というのも嫌だったし、妻も嫌だったのでしょう。妻は職を失いましたが、失業保険の申請もして、私が家に帰るまで待っててくれる、新婚生活のような生活でした。思い返せば、あの頃が一番幸せだったのかもしれません。

○しかし、幸せだったのはつかの間でした。ある夜、仕事から帰った夜、灰皿に、見た事も無いタバコの吸殻がありました。妻に聞くと、友達が来た。というのです。友達って?と聞くと、妻は、在宅で、健康食品とかの販売をしていたのですが、そのお客さんだというのです。わたしは、はじめから、お客さんならお客さんと言えばいいのに、何故友達といったのだろう?とおもいましたが、その時は追求しませんでした。

○しかし、ある日、忘れ物を取りに、アパートに帰りましたが、妻はいませんでした。電話をしても出ません。その夜、帰ってから、今日、電話したけど出なかったけど、どうかした?と聞くと、顔色が変わりました。そして、なんか具合が悪かったから、アパートで寝てた。というのです。いや、俺さ、今日の昼間ここに戻ってきたけど、居なかったよな。と言うと、さらに顔色が変わり、動揺しはじめました。追求すると、たしかに、健康食品のお客さんではあるけれど、昔の彼氏だった男らしいのです。もう、これで2人目の登場です。わたしも、いい加減、昔の男の話を全部しろ!ということになり、妻の重たい口から、過去の男の話が全部出てくるわけです。

○ここからは、妻本人が私に話したことなので、どこまでが本当かわかりませんが、聞いたとおり書こうと思います。
はじめて男と交際したのは、高校生のときらしいです。初体験も、その人らしいです。
高校2年の時の先輩だったらしいです。高校3年生になり、同級生と付き合ったらしいです。ま、やることはやったらしいです。高校を卒業し、茨城の、『○鉄』という観光バス会社のバスガイドを数年してたらしいです。そのとき、茨城の男がいたらしいのですが、極度のホームシックになり、過食症になり、仕事を辞め、実家に戻ってきたらしいです。実家に戻ってから、市内のジュエリー店に勤務したらしいのですが、販売成績が伸びず、自分の成績分を補填するために、カードで買い物をし、借金ができたそうです。その当時、ろくでもない男に引っかかったと言ってました。『飯塚』だったか『飯村』だったか忘れましたが、その男は、覚せい剤中毒&覚せい剤の売人だったとかで、同棲してるにもかかわらず、浮気を繰り返し、その男の借金の保証人にもなってしまい、サラ金の取立て屋から監禁されて、レイプもされたそうです。しかし、男は逮捕され、妻は、『自己破産』し、実も心もボロボロだったと言ってました。
それから、私と出会うまで、数人と付き合ったらしいのですが、どの男とも長続きせず、また、誰との子供かはわかりませんが、2回中絶したそうです。現在も、私の家のリビングに、その水子の霊の位牌のようなものがあります。こんな壮絶な青春を送ってきたのか・・・・。と、少し同情しましたが、前にかなり大きな嘘をつかれたので、話のどこまでが本当なのか分からない。というのと、こんな壮絶な過去がある女と一緒にやっていけるののか?という不安をかんじたのも事実です。

○そうこうしてるうちに、私は、それまで店を手伝ってくれていた、両親や弟と、犬猿の仲になってました。店に行けば毎日のように喧嘩。ひどいときは母が泣いて帰ったときもありました。H.15年の夏ごろです。その時は、妻はまだ無職だったので、一度、朝一番に、店に連れて行きました。普段から、わたしが親のことを悪く言ってたせいもあるのでしょうが、私の両親にむかい、『何さっきからじろじろ見てんだ!』と、暴言を吐いたのです。正直、これには、その場に居合わせた、○○塗料の専務、私、私の両親も開いた口がふさがりませんでした。私の両親は呆れ果てて、帰ってしまいました。それから、何度も悩みましたが、私は、家族、親戚一同から絶縁。現在に至るまで、両親はおろか、弟、親戚にいたるまで、電話で話も、会うこともできませんでした。
佐藤夫婦に次ぐ、2度目の絶縁です・・・・・。

○こうして、無職だった妻は、私の店で、母の代わりに?なり、受付や、経理関係の仕事をしてもらってました。H・15の夏ごろです。それからしばらくは、小さな喧嘩はありましたが、しばらくして、妊娠していることがわかりました。結婚式をしようとか思い、結婚式場に何度か足を運びましたが、おなかも大きくなってきたので、入籍だけにするか迷ってたとき、喧嘩の原因は忘れましたが、その年の12月末ごろに、アパートを飛び出し、実家に帰ってしまいました。置手紙(メモ程度)を残し・・・・・。妻は、なにか不都合なことが起こると、飛び出して、連絡も取れなくなるということが、これが1回目でした。しかも子供は中絶すると・・・・・。
私は、当時よく交流していた、後輩の『田中夫婦』に相談。妻は、田中の奥さんの○奈ちゃんと仲がよく、よく電話やメールをしてました。そして、田中夫婦と私の説得が効いたのか効かないのか、中絶する事は考え直してくれて、また、二人でやり直すことにしました。正直、この件も、こんなに感情的になり、中絶する!などと、すこし、こわくなってたのは事実です。しかも、私の正月休暇だったため、田中夫婦が心配してくれて、正月休暇中、私はだいぶ救われました。そうして、入籍の日を、妻の名前から取り、1・23としたのです。平成16年の1月23日でした。

○それから、大きな喧嘩もなく、同年、7月26日に、長男 たつ○ が誕生しました。名前は、男だったら、私に決めさせて欲しいということで、私が考えて決めました。

○同年の10月頃だったと思いますが、『カーコンビニ○○○』とのフランチャイズの件でもめてましたが、わたしのお店の財産差押えということで決着し、これを機に、妻を代表取締役とし、(有)○○と改め、お店の看板も、わたしがデザインし、メインキャラクターを、たつ○に似せた子供にし、再スタートを切りました。

○その年のお正月休暇に、私と、妻と、たつ○の3人で、車で北海道旅行に行きました。仙台港から乗船したのですが、恵津実は、たつ○を連れて先に乗船し、私は車を載せてから、後から客室に向かいましたが、船内のゲームセンターの前で、見知らぬおばさんがたつ○を抱いているではありませんか。私は、その人に、その子は私の子ですが・・・。
と、恐る恐る聞くと、いいえ、わたしの子ですよ。と、平然と言うのです。わたしは、一気に血の気が引いていくのがわかりました。『誘拐?』の2文字が頭をよぎったのです。まだ、船は岸壁から離れてません。わたしは、無我夢中で、その子は絶対うちの子だから、いい加減にしろよ!というと、笑いながら、ごめんなさいね。冗談。冗談。と、言い、奥さんはこっちですよ。と、言い、妻の居る部屋まで連れて行かれた。そして、しばらく歩いて、妻がいる部屋についた。妻を部屋の外に連れ出し、なんで、知らない人に子供をあずけて、目が届かないところに行かせるんだ?!と、叱った。
すると、妻は、何で怒られてるかが分からない顔で、ごめんなさい。とは言ったが、明らかに、なんで怒られてるか分からない顔をしていた。旅行のスタートにしては、後味の悪いものとなり、せっかくの旅行が、全然楽しくなかったと記憶してるのとともに、私の、妻の、母親としての見方が、変わった瞬間でもありました。

○旅行から帰り、平成17年1月4日に、妻の弟で、実家の長男、○一の子供○哉が、妻の父が吸っていたタバコの吸殻を食べてしまった。正月で、近くの病院もやってなく、また、田舎ということもあり、市内の救急病院まで行く事となったが、私の車が一番速いし、私が一番運転も上手いということもあり、長男 ○一、妻の○子、○哉の3人を、病院に連れていき、無事に処置をしてもらい、帰宅したのは深夜12時頃だった。事件の当事者でもあり、普段から、自称『孫が大好き』の父は寝ていた。この時、私は、普段から、二言目には『孫』と言ってるのに、深夜と言っても、12時くらいで寝てしまうなんて・・・・・。と、この家族に違和感を覚えました。

○話が前後したが、たつ○が生まれる少し前に、アパートでは狭いということで、広いアパートに移るか、中古物件でも買うか?と言うときに、妻の父が、好きなだけ居ていいから、うちに来いといわれた。妻の実家には、すでに、長男○一、妻○子、子供○哉がいたので、かなり気が重かったが、あまりに強くすすめるので、平成16年11月頃に、アパートから、実家に引っ越したのである。

○そして、タバコ事件の次の日、1月5日に、仕事を終え、夜、みんなで食事をし、(食費は¥30,000/月 入れてた)私は、たつ○を抱いて、2Fに行き、たつ○と遊んでた。そこに、1時間後くらいに、妻が、暗い顔をして部屋に来た。どうした?と」聞くと、弟の○一に、次の家は探してるのか?と言われ、一応探してるけど、なかなかいいのが無くて。と言ったところ、早く探して、早く、出て行って欲しいと言われたらしいのだ。わたしが昨日、救急病院に連れて行った次の日だ。私は、ああ、ここの家族は、平気で恩を仇で返すのかな?とおもい、妻に、だから、ここに世話になるのは反対したよな。と言い、すぐにこの家を出るのである。あとからゆっくり妻に聞いたら、前から、私たち3人が、実家にいることを、長男○一の妻の○子が、良くおもってなかったらしく、○子が、自分の両親に愚痴を言ったところ、○子の両親から○一に圧力がかかったらしい。

○寒い1月に、生後半年のたつ○と、私たち夫婦は、事実上、追い出された。行くところは、○一の弟、○弘一家の家しかない。そこに数ヶ月お世話になった。その間、今現在居住してる市内の家を購入して引っ越すのである。(平成17年の春頃)

○その頃にも、妻は、事あるごとに、実家に帰りたがり、私は、追い出されてまで実家に帰りたいのかな。と思い、お前には意地が無いのか?と言ったときもしばしばだった。妻は、そのたび、○子や○子の両親に対してひどく怒ってるようではあったが、実家にはよく帰っていた。私は、意地があったので、なるべく行かないようにはしていた。

○新しい家にも馴れ、一段落したと思ったのもつかの間、妻が膀胱炎で、『○○泌尿器科』に、入院した。約1週間ほどだ。その時、妻や、お母さんの強い要望もあり、たつ○を、実家で見るというのだ。たしかに、たつ○はまだ1歳だったので、大変だったが、店にもベビーベッドがあり、店でお守りをしながら仕事も出来たので、いや、大変ですが、自分の子なので、見させてもらえませんか?と言うと、お母さんは、あなたに、たつ○を見れるわけないでしょう。と、一括された。カチンときたが、揉めてもしょうがないので、実家に預けたのである。そんな時に限って、妻でなければ分からない事や、お客さんが来て、入院してるのに、悪いな。と思いつつも、商売人のつらさを、妻もわかってくれると思い、携帯に電話したり、メールして、仕事をこなしてました。しかし、ある日、ささいなことから喧嘩になり、私も感情的になり、『退院しろ!』と、言ってしまったことがあった。次の日、悪いことをしたとおもい、謝罪の電話をいれたが、よほど頭にきたらしく、退院するから、今から、お店にお母さんが行くから、退院費用を渡して。と、言われた。しばらくすると、店にお母さんがきた。かなり怒ってる様子。私が退院費用を渡すと、妻を退院させて実家で静養させますから。と、言うと、すぐに帰った。その時、お母さんは、たつ○も連れてきてたので、嫌な予感がして、店から近いこともあり、すぐに病院にむかった。病室に着くと、妻と、お母さん、たつ○の3人がいた。たつ○は、すぐに私のところへ走ってきた。抱き上げると、何しにきたの?と、妻に言われた。いや、昨日は、感情的になって、『退院しろ』と言ってしまったけど、本心じゃないから。と、謝りに来たんだ。と、言うと、もう、俺からの愛情は感じられない。とか、いろいろ言われ、また、少し口論になった。見兼ねた妻のお母さんが、もう、帰るから、たつ○を渡して頂戴。というので、なんか嫌な予感がし、たつ○は、私がみるので、妻だけ連れて帰ってください。と言うと、お母さんも怒り出して、また、あなたに見れるわけ無いじゃない!それに、あなた、さっきから、うちの子とか言ってるけど、たつ○はうちの孫です!とか言い出しました。そして、嫌がるたつ○を、無理矢理引っ張りました。
たつ○が泣き出したので、私も、ついに怒って、うちの孫ってどういうことだ!たつ○は、俺のの子供だ!とにかく、今日からは俺が見るから。といって、病室を後にしました。
そうして、仕事が終わり、家に帰り、たつ○とお風呂に入り、浴室から出てきたら、我が家のリビングに、妻と、両親がいました。3人とも、血相を変えて立ってます。そして、着替えてリビングに行くと、妻の父から、座れ!!と言われました。わたしは、人のうちにずかずかやってきて、いきなり怒鳴るとはどういうことですか?と聞くと、てめえ、今日、病院で暴れたんだってなあ!どいうことだ!と・・・・。説明しようとしても、俺を怒らせたら最後だぞ。とか、俺を○○の○○ ○○○とわかっててのことなんだろうな!とか、もう、話になりません。おまけに、たつ○は連れて帰るの始末です。さすがの俺も頭にきて、なんでたつ○を連れて行くんだ?いい加減にしろよこの野郎!と言ってしまいました。そうして、胸倉のつかみ合いになり、たつ○は、私に泣きながら両手を出して助けを求めてましたが、無理矢理連れていかれました・・・・・。

○それから、約2ヶ月にわたり、たつ○と離れ離れになり、妻は、仕事にももちろん来ないので、私は心身ともに限界でした。その時も、離婚すると言われ、調停の準備をする。と言われました。実際、弁護士にも相談してたようです。これで、妻の飛び出し、引きこもりは2回目です。

○その後、会社も散々の状態になり、(なんせ、代表取締役が不在なので・・・)心配してくれた、○○塗料の専務が、一人で妻の実家に言ってくれて、向こうの両親と話してきたらしいのだが、まったく聞く耳持たずだったそうだ。絶対離婚させると・・・。しかし、その数日後、私が呼ばれ、謝りたくはなかったが、たつ○のためだけに、土下座をくりかえし、その日は帰ってきた。

○またその数日後、今度は迎えに来いということになった。まったく、自己中心な奴らだな。と思いつつも、我が子に会える喜びで、迎えにいき、また、3人での生活が再スタートした。平成17年夏のことだ。たつ○の1歳の誕生日が過ぎたあとだった・・・・。

○私は、妻がたびたび繰り返す、突発的家出や、何もかも投げ出して、実家に引きこもる等は、今後の生活においても、子供の教育の為にも、母親が情緒不安定ではいけないと思い、以前から、一緒にカウンセリングしようと持ちかけたことがあったが、聞く耳を持たないので、私が、仙台の自衛隊の時からの親友、伊澤 に相談した。
伊澤は、親身に相談にのってくれ、宮城県塩釜市に、占いや、相談で有名な人がいるということで、妻が、私とよりを戻すことを躊躇していたので、なんとか、2人で、その占いの先生の元を訪ねました。そうして、先生は、子供のため、自分達の為、離婚などせず、明るい事を考えて前向きに生きましょう。と言ってくれ、妻は泣いてもう一度やり直す決意をしたのです。『私が間違ってた。私達、もう一回やりなおせるよね。』と、言って・・・・・。

○それからは、私も、言葉を選び、慎重に妻や、実家の連中と付き合ってた。またいつかたつ○に会えなくなるかもわからないので、慎重に、慎重に・・・・・。しかし、妻は、なにか事あるごとに実家に帰ったり、甥や姪の誕生会等の実家のイベントにも積極的に行くのである。私は、たつ○を無理矢理連れて行かれた経験があるので、妻とたつ○の2人だけで実家に行ったとき等は、また帰ってこなくなるのか?と、不安に駆られていた・・・・・。

○平成17年の11月頃だったと思うのですが、ある事件がおきました。その頃、たつ○は、もう、自由に走り回り、寸分も目を離すことが出来なくなってました。まだ、保育園にもいれてなかったので、仕事中は、私か妻が、お互いに注意を払ってました。しかし、ある日、私は、お店から工場のほうに行く用事(同じ敷地内だが、そんな時も一言妻に声をかけるようにしていた)があったので、ちょっとたつ○を見ててな。と、言い工場にいると、1〜2分くらいで、お店のほうから、叫び声にも近い声が聞こえたので急いで店のほうに走りました。すると、見た事もないおばさんが、たつ○を抱いてこちらに歩いてくるではないですか。私は、その人に、どうしたんですか?と、聞くと、『いやぁ、びくっりしましたよ。車に乗ってたら、この子が車道を歩いてたもんで、飛び降りました。』と、息を切らしてます。しかも、たまたま、たつ○を助けてくれた人は、すぐ近くの、中古車屋さんの奥さんでした。お店の前の道路は、『○○幹線』といい、夕方にはものすごい交通量の道路です。妻は放心状態でした。その奥さんが帰ってから、かなり注意しましたが、妻の一言で、がっかりしました。それは、『だって、自動ドアの電源落としてたのに、たつ○が開けていなくなったんだもん・・・・・。』と・・・・・。そうです。妻は、仕事・プライベート・いろんなことのミスを、なにかしら、人のせい、物のせいにするのです。私は、激しい怒りに襲われましたが、その時でさえ、暴力はしませんでした。

○そうして、平成17年の年末が近付き、妻の実家の連中(妻の父・母・弟夫婦(長男)・弟夫婦(次男)・甥2人・姪1人・妻・私・たつ○の計12人)と正月休暇に旅行に行くということになった。私は、はっきり言って、行きたくはないのだが、ここでまた、行きたくないなどと妻に言うと、大騒ぎになると思い、さも行くのが楽しみのように振る舞った。旅行先は、東京ディズニーランド。2泊3日だ。しかし、小さい子もいて、総勢12人。話し合いの結果、マイクロバスを借りて行くということになった。運転手は・・・。大型免許を持ってるのは、私と、妻の父の2人だけ。しかも、妻の父は、この年の夏頃に、糖尿病の悪化で、足の指が壊疽し、手術で切断してたので、必然的に私となった。というか、私が申し出るしかないと思い、申し出た。
そして、福島〜東京の往復すべて、『運転手』をした。正直、休みなのに、普通以上に疲れ、旅行から帰ってから、倒れるように寝た記憶があります。そのくらいしないと、
また、難癖をつけられて、たつ○と離れ離れになるんじゃないかという思いの為でした。

○しかし、私のこうした地道な努力が、逆効果だったと思わせることとなったのです。
年は明けて、平成18年1月。この頃から、妻と、妻の母が、訳がわからないことを言い始めるのです。それは、妻の母から言われました。『妻とあなたは、仕事中も一緒。家でも一緒。休みの日くらいは妻に自由な時間をちょうだい。』と・・・・・。妻にも同じことを言われ、私がまた何か言うと・・・・。
もう、何もいう気がしなくなり、新年早々、毎週火曜日の定休日は、妻が好きにして良い?みたいな、変な公約を押し付けられました。それからというもの、妻の行動がわからない、『火曜日』が何度もあったのです。たつ○は、1歳。休みの日は親子そろって過ごしたい。という私の夢は打ち砕かれました。それでも、今度の休みは親子3人で遊びに行った事も数回ありましたが、妻は楽しそうではありませんでした。時には、妻一人でどこかに行ってたり(そういうときは、携帯にも出ない)、時には、妻がいつまでも寝てるので、たつ○と私で遊びに行ったり、親子3人で過ごす休日がものすごく少なくなり、ひどいときは、たつ○の通院も私一人です。私は、妻に対して、この女は、本当にたつ○のことを考えてるのだろうか?と、何度も考えました。自宅にいる時も、頻繁にメールをして、夜になっても夕食の準備もする気配がないので、メールばっかりやってないで、夕飯、家で食うのか、外食するかは決めないか?というと、『休みの日くらい、ゆっくりさせてよ。』というので、ああ、もう、この女は、たつ○より、『自分の時間』が大切なんだな。という思いと、もしかしたら、頻繁にメールをしてるのは、『男?』と、過去の苦い経験が思い出された時期でした。

○書きたくは無いが、夜の夫婦生活(SEX)も、この頃から変わり始める。正直いうと、性欲に関しては、妻のほうがすごかったと思う。しかし、私は、当時36歳。正直、体力的にも疲れが見え始めてた年齢だったので、妻を満足させてやれなかったのかな?と、思ってましたが、2人目の子供が欲しかったので、週に一回位は性行為をしたかったのですが、妻はあまりしたがらず、何度となく、触んないで!とか、疲れた!と、言われ、この頃(平成18年1月〜3月位)は、ほとんど性行為はしてなかったと思います。したとしても、最後は膣外射精で、避妊を要求されてました。しかし、いつだったか、正確には覚えてませんが、ある夜、手のひらを返したかのように、妻から性行為を求めてきたときがありました。私は驚きましたが、しばらく行為をしてなかったので、何回もした記憶があります。しかも、膣内射精をしてくれと要求されたのです。これには正直驚きましたが、私は、2人目の子供欲しさに、ためらい無く、膣内射精をしました。それからは、約週1回のペースで性行為をするようになりました。時には、勤務中、会社で妻から求められたこともありました。また、射精に関しては、その日を境に、すべて膣内射精でした。

○それからは、大きな喧嘩もなく、平成18年の4月。たつ○を、保育園に入れた。保育園を決めるときも、妻は消極的で、電話帳を片っ端からさがし、電話をし、探したのは私でした。私が保育園に入れようと思った訳は、仕事が忙しかったのもあったが、いろんな人と接することにより、実家の○哉のようなわがままで乱暴な子にならないように。また、小さい頃から、大勢の子供達とふれあうことにより、やさしい子になってもらいたかったからです。また、保育園に入れることにより、妻の実家からのたつ○に対する干渉が、少しは減るかな?と、思ったからです。もちろんそんなことは妻に言ったら、また大騒ぎになるので言わなかったが・・・。

○たつ○を保育園に入れたことにより、たつ○は、どんどん明るい優しい子になってくれた。平成18年6月頃だったか、動物園に、父兄参加の遠足にも行き、幸せな家庭かとおもってました。遠足のときも、実家のお母さんを誘わないと、後で揉めるかとおもい、一応、妻を通して誘ったが、理由は分からないが来なかった。あれほどうちの孫。と言ってたのに・・・。

○そんな平和が続くわけがなく、新たな問題が浮上した。実家孫『○哉』だ。たつ○より、4ヶ月ほど先に生まれた子なのだが、わがまま。乱暴。癇癪。わたしから見たら、いや、世間の人誰が見てもいらつく子供なのだが、この頃から、たつ○に対しての、暴力ともいえる攻撃が、前にも増して目につくようになる。たくさんのおもちゃを持ってるのに、たつ○が持ってるものを取り返す。たつ○は、泣くのを我慢して私のところへきて助けを求めるが、実家の人間は、○哉のことは軽くしか注意しない。ソファーでたつ○が遊んでると、突き飛ばして落とす。もう、わたしには『悪魔の子』にしか見えませんでした。そんなたつ○をみるのがつらくて、私は、なるべくたつ○を実家に連れて行くことを、いろんな理由をつけて避けてました。

○秋に、たつ○の運動会がありました。その時も、実家のお母さんを誘いましたが、来てくれず、また、妻も、仕事が休めない?といい、運動会に行ったのは、私だけでした。たつ○は私から離れないし、はじめての運動会は、写真もビデオもほとんど撮れず、周りの家族は、最低でも夫婦。祖父母付き添いの家族も多数いました。父親だけなどというのは、私しかいなかったと思います。たつ○が一生懸命練習したと思われる、お遊戯も見る事が出来ず、たつ○にも申し訳なくなり、1時間くらいで帰ってきました。ものすごく悲しかったです。帰りの車で、思わず泣いてしまいました。しかし、妻に言っても仕方ないので、妻には、たつ○がぐずったから帰ってきた。と言い、その場は我慢しました。

○そんなつらい日々に耐えつつ、実家に行く回数を減らしてましたが、妻は、妊娠してました。予定日は12月。正直、逆算すれば、私達が、ほとんど性行為をしてない時期に妊娠したことになりますから、『いつ妊娠したんだろう?』という気持ちは少しありました。また、産休になると、『実家依存症』の虫が騒ぐのかな?と、嫌な予感がしたことも事実です。

○ついに、平成18年11月24日。長女○○実が誕生。立会い出産こそしませんでしたが病院にかけつけ、生まれた瞬間は、妻のお母さんと握手をしました。

○出産後、5日ほどで退院。お母さんと、妻、○○実の3人で、退院後、会社に来て従業員にも挨拶をして、いい感じでした。しかし、また、お母さんが、たつ○は、お産休暇中、実家で見るというのです。もう、保育園にも行ってたので、それこそ私一人でもたつ○をみることはできますよ。と、いったが、あんまりしつこいので、渋々預けました。

○また、○哉にやられてるのが目に浮かんだのですが、見るのも辛いので、なるべく実家に行くのをひかえてました。しかし、何度か気になり実家に行くと、やはりやられてます。まわりの大人達は誰も見てません。妻に言っても、また興奮されても困るので言わないでおきました。

○12月23日。クリスマスパーティーがあるから来ない?といわれ、子供達のおもちゃと、妻には、妻の好きな『コーチ』というブランドの財布を買い、実家に向かいました。そしたら、案の定、たつ○は、○哉から、泣かされてましたが、他にも子供が2人いたので、その日はたいしたことではありませんでした。次の日の朝帰りました。

○12月26日。問題の事件です。23日のこともあり、やはり、たつ○が心配で、休日で仕事だったので、早目に切り上げて、夕方4時頃実家に向かいました。事件は直後に起こりました。たつ○は、私が来てくれたことがうれしくて、到着するなり、私の手をぐんぐん引っ張り、室内のジャングルジムまで案内します。ジャングルジムに登れるようになったのを見てもらいたいのだな。とおもい、案内してもらいます。たつ○は、どんどん登って、パパ見て!と言ってるように、自信満々の笑顔です。わたしもうれしくなり、笑顔で見守ってました。そこに、『悪魔の子、○哉』がやってきました。すごいスピードでやってきたかと思うと、たつ○の足をひっぱり、引きずり落としたのです。もちろん、見てるのは私だけです。それでもたつ○は、泣くのをこらえて、ぐっと我慢してます。たつ○を抱きしめて、『○哉』を思いっきりたたきました。ギャーっと泣いて、お母さんのところへかけよりました。どうしたの?と聞かれたので、たつ○と喧嘩したみたいですよ。と・・・。
それは、ばれませんでした。そして、夕食を終え、今度は、ソファーで、妻は○○実に授乳。その左隣に私が座り、たつ○は私の前で、車のおもちゃで遊んで、私に見せてます。見て!とばかりに・・・。私は、笑顔で、かっこいいねぇ!と言うと、満面の笑顔で遊んでます。そこに、また、『○哉』が、すごい勢いで走ってきました。すると、たつ○の車のおもちゃを取ろうとするのです。『○哉』が近づいた瞬間に、いつもやられてるからわかったのでしょう。たつ○は、おもちゃが取られないように、小さな体をつかって、一生懸命ガードしてるのです。『○哉』は諦めるのかな?と見てると、今度は、たつ○の背後から首を絞めてます。私は、とっさに、右隣にいた妻の頭を後ろから軽くたたくように合図をし、目で、たつ○のほうを見るように合図をしましたが、気づきません。私は、たつ○がかわいそうなので、『○哉』から、たつ○を引き離し、妻に2Fにくるように言いました。そうして、ジャングルジムのことから、説明しました。私は、だから、たつ○は俺が家で見ると言ったろう!お前や、実家の人たちが、『○哉』に注意できないのはわかってる。(下手に注意したりして、母親の○子の機嫌を損ねたら、また、○一が困るからな。と・・・・。)しかし、『○哉』が、お前たちとは、血が繋がってるけど、俺は血が繋がってないんだぞ。と・・・。こんなことをされたら、そこらへんのクソガキと同じだろう。お前がもし、そこらへんのクソガキにたつ○がやられたら、どう思うのよ!こんな風になるのが分かってから、俺は、はじめから自宅で俺が見るって言ったんだぞ。と・・・。たつ○がこんなことになってるなら、俺が、正月前に連れて帰るからな。本当は、今すぐ連れて帰りたいけど、そんなことしたらまた大騒ぎだから、今日は俺だけ帰るからな。と言いました。すると、妻は、私だって切ないんだ・・・。といって、泣いてしまったので、私は、とにかく、今日は帰るからといって、実家のお母さんに、明日は早いので、今日は失礼します。といって、実家を後にした。
自宅に着いてから、妻が泣いてたのが気になり、すぐにメールを打ちました。さっきは感情的になったが・・・と・・・。しかし、電話もメールもありませんでした。

○そうして、私は、1日でも早くたつ○を迎えにいくため、年内の仕事にスパートをかけ、 12月29日になりました。本当は、12月30日まで仕事をしようと思いましたが、1日早くおわったのと、昼間に、仙台の時の親友、伊澤が、いたので、今日は家で2人で
飲むか!ということになり、たつ○の迎えは、12月30日の昼間に行こうと思いました。
そうして、自宅の前に着いた瞬間に、妻からメールがきました。早く来ないのか?みたいなメールかと思いきや、12月26日のことで、私の言動に呆れ果て、実家のみんなが、私に対して激怒してるというのです。私は、目を疑いましたが、なんのことか分からないので、すぐに妻の携帯に電話しました。そうしたら、の父が出て、出るやいきなり、大激怒状態なのです。私が何を言おうとしても、離婚だ!家の敷居は跨がせねー!とか、妻に暴力とはどういうことだ!と、手が付けられない様子。一方的に怒鳴られて、電話を切ろうとしるので、妻に変わってくださいよ。というと、妻は寝た!といって、電話を切られました。もう、隣にいた友人もびっくりでした。仕方なく、友達と飲んで、次の日は、一人で自宅にいました。前の件もあったので、また、子供にも会わせてもらえないのか?とか、訳もわからず土下座をしにいかなければいけないのか?とか、いろいろ考えれば考えるほど、不条理な実家のやり方に、怒りと、不信感で、正月3日まで家から一歩も出ずにいました。

○年はあけて、平成19年1月4日に、妻から、メールが来ました。『離婚』を決意したというのです。
そうして、私の自宅では会えないが、自宅の近くのデニーズで会って話をしたいというのです。先に店に入って待ってました。両親と、妻の3人で来ました。もちろんたつ○は連れてきません。両親は、私の顔も見たくないとのことで、遠くに離れたテーブルにいました。そして、2時間くらい話しましたが、妻は、
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∋匐,2人とも引き取る。
わたしからの暴力に耐えられない。
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ノズГ成立するまで子供達には会わせない。
Δ發Α∋笋遼塾呂紡僂┐蕕譴覆ぁ
離婚して自己破産する。
┝族箸鮟个道埀捗斬陲澆燭い覆箸海蹐濃匐,3人で生活したい。
もう、あなたと生活したくない。
今も、実家にはいない。親戚のところにいるが、場所は教えられない。
だそうです。 銑すべてのことに納得がいかず、特に、Δ遼塾呂亡悗靴討蓮△泙襪埜僂砲弔泙泙譴討襪里と思いますが、妻はまじめな顔で言ってます。それで、私は、いつ頃から離婚を考えてたのか?と聞くと、○○実を妊娠中から考えてたと言うのです。私は、もう、何がなんだかわかりません。
妊娠中も、週に1回〜2回のペースでSEXしてたし、妻から求めてたときも多数ありました。『今日は、おなかが張ってるから。』と、言い、口で処理をしてくれたり・・・。
出産後も何度か妻の実家に泊りに行ったときも、私の足・腰をマッサージしてくれたり、SEXできなくて大変でしょ。と、妻自ら手や口で処理してくれたり・・・・・。
私は、そのことはなんだったのか?と、聞くと、『言うと思った。んー、あれはね、本当は嫌だったんだよね。』と、軽く言ってます。もう、妻の言ってる事がおかしいのか、私自身がおかしくなったのか分からなくなり、とにかく、俺は、2人目の子供が生まれたばかりで、これから、更に気合を入れて仕事をしなければ。と考えてて、たつ○に続き、○○実の学資保険の手続きも済ませたばかりの矢先に・・・・・。

○1月4日以降、私からの電話には絶対出ない。メールを出しても、子供に関することにはノーコメント。だんまりを決め込む。会社や、自宅等の各種引き落としの詳細等は、封書にてもらうが、子供のことには一切触れず・・・・・。

○それから、何度となく、メール・電話をするが、一切返答無し・・・・・。

○1月16日。私の両親と絶縁するきっかけとなった、妻との今の状態を、両親に報告し、謝罪の念も込め、また、私の子供の顔も見せたことが無いので、たつ○の写真を5〜6枚同封(○○実の写真は1枚も無い)し、本当に素直な謝罪の手紙を、母親宛に送りました。

○1月18日。私の両親と交流のある、『○○自動車』の奥さんから電話があり、私の母から、奥さんに電話があったとのこと。私の母も、丸4年も私と顔を会わせてないし、会話も交わしてないので、私宛に手紙を書いたと言う事だった。今日にも届いてるはずなので、早く帰って読んでね。ということなので、私は、早目に帰宅しました。久々にポストを開けたら、大量の郵送物があり、部屋にて分類したところ、母からの手紙の他に、弁護士からの郵便物と、妻宛のハガキがありました。一番、嫌な予感がしたのは、妻宛のハガキでした。何故かと言うと、聞いたことも無いようなクレジット会社の名前が明記されてたからです。中を見ると、キャッシングとあり、金利が29.2%とありました。紛れも無く、『消費者金融』すなわち、『サラ金』ということはすぐにわかりました。絶望感・喪失感・いろいろな感情が巡って、私は立ち尽くしてしまいました。妻は、私と付き合う前にも、『サラ金』で一度自己破産してるのに・・・・・。悲しんでる暇はありません。この状況を、どのように打破するか?離婚アドバイザーの方に、早急にTELしました。そうしたら、早急に、今すべきことを指示してもらい、明日に備え、母からの手紙を読み、寝てしまいました。

○1月19日。今日は、私の父の誕生日です。こんな状況なので、何のお祝いもできませんが、離婚が成立したら、改めてお祝いしたいとおもいます・・・・・。
今日は、離婚アドバイザーさんの指示通り、『離婚不受理届け』をしてきました。10分くらいで受理され、その足で法務局に行き、会社の登記簿謄本を取り、準備を進めました。今日は、お客さんが、3人見積りに来ました。本当は、この会社で、この仕事を生涯・・・・。と思ってたので、あと数週間で無くなる店に来ていただいて、口にこそ出しませんでしたが、深く感謝しました。

○1月22日。自宅に届いていたハガキを整理していたら、多数の督促状が届いていた。一番驚いたのは、固定資産税・市県民税・軽自動車税・国民健康保険税が、まるで支払われていなかったということだ。去年、私は、何度も、税金関係はちゃんと払ってるよな。と、確認してましたが、去年の時点では、『ちゃんと払ってます。』と、きっぱり、断言してたので信用してたのですが・・・・・。特に、国民健康保険は、去年の12月5日に、市役所に行き、○○実の出生届も出し、国民健康保険被保険者証も新しくしたのに・・・・・。一言もありませんでした。たつ○も○○実も、まだ小さいです。病院に行く機会も多数あります。それなのに、国民健康保険税を払ってないなんて・・・・・。本当に、子供のことを考えてる親のすることでしょうか?怒りよりも、情けなくて仕方ありませんでした。固定資産税・市県民税・軽自動車税・国民健康保険税(2期分)で、約12万円。払ってきました・・・・・。
  
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