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子のための親子法へ
   
           
      國學院大学名誉教授・弁護士 佐藤隆夫    
           
     

はじめに

   
   戦後の昭和22年、家族法の民主化を旗印として、民法の親族相続編の大改正が行われた。
いわゆる親子法は、親族・相続編にわたるが、家長制度の廃止、諸子平等など、当時も「子のための親子法」の理念のもとに近代化が進められた。
しかし、当時は日本的封建思想も根強く社会に残存しており、家族法の近代化も中途半端でしかない状況にあった。
たとえば、親族法の冒頭は、6親等内を血族と規定(このように血族範囲を拡げて、そこに扶養義務とか、遺産相続などが考えられるが、せいぜい血族婚禁止の意味しかない)、第二に配偶者地位である。
夫からみて妻が親族なのか、近代法は夫婦が主体であって、夫、妻は家族のそれぞれ人格的に独立した権利主体である。
妻が親族とは、逆にいえば「妻」とはなにか、ということにもなりかねない。第三に、姻族(夫からみて妻の兄弟姉妹など3親等内)とされる。
 このように、昭和22年の改正家族法は、法的には特になにも実体のない‐社会的交際の範囲でしかない‐親族を法的に、しかも総則として位置付けた。
近代法といわれる現行家族法の性格を理解するうえで、この親族規定の立法はまず第一に注目されるべきである。
以下、主に問題点を各論的にみよう。もちろん、親子法の現実が主点となる。


 
           
      (1)

   
   第一に、離婚の協議離婚制度の問題である。
この協議離婚は、当事者の合意のみで成立する簡易な離婚方式である。
両性平等の前提であることはいうまでもない。
しかし、昭和22年といえば封建遺制の色濃い時代である。
夫による「追い出し離婚」が社会的に懸念された。
それでも立法者は、もし裁判離婚ひとつにすれば、事実上破綻していても離婚手続きをとらない夫婦が増加し、身分上の混乱を招くおそれがあるという論点から、この協議離婚制度を認めた。
まして当時、この協議離婚では子の親権、養育費など当事者間でどう協議されるか、また、子どもが親を必要としている年代において、子どもの存在を無視して当事者の協議だけで離婚を簡単に認めてよいかなど、特に子のある夫婦の離婚について問題が多かった。
しかも、協議離婚が離婚件数の97%を占めている現状といわれる。
この協議離婚の現状をみれば、協議離婚の廃止論は直ちにはいえない。
せめて、子のない夫婦については、協議離婚を認めるにしても、子のある夫婦については、協議離婚を家裁の確認(裁判官について、紛争解決の裁判官のほかに、当事者の合意の確認のための裁判官‐弁護士とか学者から選任する‐の設置が必要ではないか)を行うものと区別して、離婚問題に法が対処すべきではないか。
なんといっても、子どもにとっては、父母の離婚は家族崩壊にひとしい(もはや父母との同居生活は望めない)。
平成7年の民法改正案において、先進国においてすでに実現している離婚制限の苛酷条項(たとえば、妻が病気で離婚することが、妻にとって酷であるとか、子どもにとって今の成長プロセスから現時点の離婚は好ましくない、などを裁判所が判断すれば、離婚請求を棄却できる)の設定は、破綻主義離婚法として当然立法的に実現されるべきである。
夫婦関係が破綻しているからといって、人間的問題を無視してまで離婚を認めるべきではない。
人間的視点からの離婚請求を制限する趣旨の、この規定である。


 
           
      (2)

   
   次に嫡出子・非嫡出子の平等の問題である。この問題は、むしろ遺産相続の問題として、よく議論される(後述)。
ここでは、「非嫡出子」の観念について、民法が婚姻届けをしていない事実婚(内縁関係)の子も含めていることの非合理性を指摘したい。
事実婚の夫婦には、夫婦としての戸籍がない。
そこで、現行戸籍法では、事実婚の子は母の戸籍に出生届をなすべきものとし、また父子関係は、父の認知によって父子関係を確定するとして、事実婚の子と、いわゆる愛人の子とは法的に同一扱いである。
事実婚は、まさに夫婦の子であり、その子は夫婦の子として父の戸籍に出生届けがなされるべきである(愛人の場合は母の戸籍に出生届けがなされる)。
これは事実婚について、婚姻届けをした法律婚に準じて、その諸問題の解決に当たろうという準婚理論の当然の理である(現在、この準婚理論については、事実婚の子について、愛人の子と同一視する母の戸籍に出生届けをなし、父子関係の確定は認知によるとか、事実婚の妻については、夫に対する遺産相続を認めない、の二点において法律的に壁がある)。
もっとも、事実婚の場合、「夫婦」と法的に断定しえないという不明確さが指摘される。
しかし、これは当事者の問題である。仮に愛人の子が、認知もないのに父の戸籍に出生届けをなせば、その届け出は無効と解される。
 事実婚の子の地位の確立こそ、このテーマの第一歩とされるべきである。


 
           
      (3)

   
   次に親権の問題である。
実は親権に現行親子法の問題が集約されているとみてよい。
「子のための親権」を法理念として唱えられながら、現行の親権規定は、いまなおその法理念から遠い。
親権は家父長権、そして「親の権利」と推移し、近代法は「子のための親権」と義務付けられているが、日本民法は、いまなお封建的親本位の残映でしかない。

 
  イ) 現行法は、父(夫)の単独親権から父母の共同親権に改めた。
両性平等を反映してのことである。
ただし、父母の共同親権は婚姻継続中に限られる(民法818条3項)。
子を生めば、婚姻中であれ婚姻外であれ、親として子を監護し育てることが親の親たるゆえんである。
しかし、そこには法の価値観がからみ、共同親権は父母の婚姻継続中とした。
離婚の場合は父母の一方の単独親権とされる(民法819条1・2項)単独親権の決め方は、父母の協議、協議不調のときは裁判所が決めるということになる。
この単独親権の背景には、父母は離婚によって他人となる。
しかも破綻しての離婚であるから、父母の協議は望めない、という親の視点でしかない。
しかし、夫=父、妻=母と、人は婚姻によって二重の地位を持つ。
夫婦間は他人となっても、子にとって父母であることにかわりはない。
しかも子にとって、父母との共同生活は望めない。
離婚に直面した子こそ父母の愛情と助言が必要なはずである。
世界の法の思潮として離婚後の共同親権が台頭し、立法されつつあるゆえんである。
子と同居し監護するのも親権行使であり、子と同居できない親は子と会う(面接交流)ことで愛情を示し助言することも親権行使である。
重要なことは、子と同居する親(たとえば母)が、子と同居していない父との面接交流を拒否しないことである。
子にとって、たとえ別れた夫でも父として欠かせない存在であることを認識することである。
また、子と会った親が子を強制的に引き取るのは許されないことは当然である。
また、離婚後父母の一方の単独親権が望ましいときは、家裁の審判(調停)によって決めることが考えられる。
その事情を子の幸福の立場から家裁が判断するということである。

   
  ロ) 親権とは、「子を持ったら親として育てたい」という人の自然的念願であり、その意味で本来は自然法的権利といえる。
しかし、実体法の民法の立場でも、むしろ子の幸福な成長のための親の義務と解すべきである。
沿革的には、家父長権という「家長」の流れを親権はくんではいるが、「子の幸福」という現代法の理念のもとでは、親の義務が親権の本質であると解されるべきである。
親権の権利性の弊害は離婚後の単独親権に典型的に現れる。
第一に権利性だから子の親権を奪い合う。
また、簡単に親権が下りる。第二に、非親権者の地位の問題が現れる。
親であっても非親権者とはなにか。
また将来の親権の変更に備えた親権停止者というが、なぜ親権停止なのか。
親権とは停止できるものなのか、など将来的に疑問が消えない。
親権を義務と解すると前述のように離婚後も共同親権でなければならない。それが、「親」というものである。

   
  ハ) 民法の親権の内容は、家長権の残映が濃い。
居所指定権(民法821条)、懲戒権(民法822条)、職業権(民法823条)など。
後述の子どもの権利条約(1989年11月20日国連で全会一致にて採択)第5条は、「…この条約において認められる権利を子どもが行使するにあたって、子どもの能力の発達と一致する方法で、親は適切な指示および指導を行う責任、権利および義務を締結国は尊重する」との趣旨を規定する。
条約の理念は、子どもを人格者=権利主体としてとらえる。
ただ子どもは成長段階にあるから、その成長プロセス、子どもの能力に適った親の指導・助言を尊重するということである。
子のための親権というのであれば、この条約のいう、子をひとりの人間として尊重し、その成長段階に相応しい指導・助言をする、ということでなければならない。
子どもは、単に親によって保護される存在ということではない。


   
           
      (4)

   
   次に子の扶養の問題についてである。
民法877条は、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務がある」と規定するが、ここにいう「直系血族」とは、子の老親に対する扶養義務をいい、親の子(15歳未満の未成熟子)に対する扶養義務を定めたものではない。
兄弟姉妹と同じ程度の扶養義務を負うと考えられる扶養者=老親で、この扶養義務は、学説では生活扶助義務(扶養者に余力があれば助ける程度の軽い扶養義務)である。
これに対し、未成熟子(自力で生きていけない子)に対する親の扶養義務は生活保護義務とされる。
この扶養義務とは、たとえば一枚のパンしかなければ、親・子ともども平等に食べるという、扶養するがゆえに親であり、子である、という一種の運命共同体的な強い扶養義務をいう。
問題は父母の離婚後の扶養である。
通常、父が母と同居する子に毎月養育費を送る形になる。
もっとも、この方式は父母の協議による。
送金額・方法も協議で決まる。
協議不調のときは、家裁の調停・審判による。
ところが、協議の内容は社会的に明確でない。
現に、父の養育費の仕送りはきわめてよくない。
調停で決まっても、その履行は半分にも満たない、という。
子どもの生存にかかわる養育費について、現行法では直接の履行強制方法がない、という、いわば放任状態でしかない。
他の先進国では、給料からの毎月の養育費の天引きとか、福祉機関の貸し付け、貸した金額を夫から税金のように強制徴収する方法など、養育費には厳しい履行強制方法がとられている。
国から児童手当ては支給されるが、養育費の給付については、前述のように放任状態でしかない。
現状を認識し、その改善のための法整備の社会的世論が高まることを期待したい。
 また、養育費の給付と、面接交流権とが対価的に主張される(母の側で、父からの養育費をもらえなければ、子と会わせない)と、よくきかれる。
しかし、この主張は、親の感情論でとられるべきではない。
また、父の方も、自分の生活と子の養育費とで二重の負担になるかもしれないが、前に述べた生活保持義務の性格からみて、親は万難を排して、子に養育費を送るべきである。
 それと、もうひとつ意外に学説でも注目されていないが、婚姻費用の分担義務(民法760条)の問題がある。
これは、夫婦・子の家族生活費用について両性平等から夫婦が分担するとしたものだ。
問題は、離婚前の別居後の生活費の分担である。
民法760条には直接定められていないが、分担の解釈として夫婦の協議により、その金額・支払い方法などが定められる。
ところが離婚=別居原因がからむため、協議は進まない。協議不調であれば家裁の調停・審判と手続きがとられるが、1年間など直ちに過ぎてしまうのである。
問題は、この間、専業主婦の妻ないし子は、どのように生活するか、ということである。
多くは実家に帰り、その世話になる。
また、パートで働くということかもしれない。
これは生活費であるから、一日も欠かせない。
問題が決着するまで、自治体の福祉機関が平均生活費を貸し付け、決着したらその貸付金を夫から強制取立てする方法が法的にも絶対必要と考えられる。
是非この問題に着目して欲しい。
それに子の生活費は離婚=別居原因とは関係がない。
しかも、別居中は離婚に至っていないという理由で児童手当も交付されないのである。
福祉の谷間にある問題といえよう。


 
      (5)

   
   次に相続の問題である。
前にも述べたが、嫡出子と非嫡出子の法定相続の差別の存在である。
民法900条4項但し書きは、非嫡出子(夫婦以外の子)の法定相続分は、嫡出子のそれの二分の一とする。

 
  イ) 昭和22年の民法改正時に上の差別が定められた。
なぜ非嫡出子の法定相続分は、嫡出子のそれの二分の一と定められたのか。
当時の立法記録によると、男性議員は平等案を主張したが、女性議員はゼロ案を主張したという(女性議員は妻の立場に立ち、夫婦外の子について相続を認める理由がないと主張した)。
結局立法政策から妥協案として「二分の一」という数字に帰着したといわれる。

   
  ロ) 時の進展につれ平等案が台頭してきた。昭和55年の民法改正に際し、法務省は平等案を公表した。
しかし、世論調査では反対が48%と賛成意見の三倍も上回った。そのデータから、平等の改正はなお時期尚早と見送られた。
その後、平成7年の民法改正案でも平等案がとりあげられたが、この民法改正案そのものが国会にいまなお上程されてはいない。
なお、欧米のほとんどの国では平等の法改正がなされている。
旧西ドイツの1969年法、スウェーデンの1969年法、イギリスの1969年法、アメリカでも、1977年4月26日の連邦最高裁判所は、非嫡出子について父の相続を否定していたイリノイ州相続法を違憲と判断した。

   
  ハ) 日本の近年の判例の動向に注目しよう。まず、平等の視点から注目されるのは平成5年6月23日の東京高裁決定がある。
その注目点は、
   
    民法900条4項但し書きの規定のその実質は、妾の子に対して「実の子」の利益を保護することにあり、結果的に旧家族制度の法律論を尊重する。

   
    嫡出子と非嫡出子の相続分の平等を認めても配偶者の相続分はなんらの影響がない。

   
    非嫡出子の「個人の尊厳」も嫡出子と同様に保護されなければならない。

   
    非嫡出子からみると、父母が適法な婚姻関係にあるかは全くの偶然のことにすぎず自分の意思や労力によっていかんともし難い、不利益な取り扱いを受ける結果となる。

   
    …などである。
その後同旨の違憲の判決は、東京高裁の平成6年11月30日にもみられた。
しかし、平成7年7月5日の最高裁大法廷判決は、社会の一般の予想に反し、非嫡出子の格差規定を合憲とした(15人の裁判官のうち5人の裁判官が違憲の反対意見を述べた)。
その基本的視点は、合理的な理由によれば差別も許されるというものだった。
具体的にいえば、民法の差別規定は、嫡出子の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものである、ということである。
大法廷の判決であるだけに、差別規定の違憲の判例が期待されたが、この期待はまさに解決論において済まされてしまった。
マスコミも予想が崩れたという趣旨の記事が大新聞でもとりあげられた。
たとえば、朝日新聞の論説(社会部・井出雅春)は「立法での是正必要」の見出しで、特に近年の国際的視点に注目する。
すなわち「日本も批准している国際人権規約B規約26条は、出生による差別を禁じており、また、国連規約人権委員会からは、1993年、法律における非嫡出子に関する差別規定を除外すべし、との勧告を受けている。
それに、西欧諸国も非嫡出子の増加を受けて1960〜1970年代にかけて次々と平等に踏み切った」と述べる。(朝日新聞平成7年7月7日記事)
法務省も、平成7年の民法改正のひとつとして、この平等の実現をとりあげている。しかし、まだ国会に上程されてはいない。
以上が、現行民法の親子法の諸問題の要旨である。


   
           
      (6)

   
   最後に子どもの権利条約の問題である。
日本もこの条約を批准していることは既に述べた。
批准したからには、この条約の趣旨を国内法に反映しなければならない。しかし、現在のところ、この親子法の改正が実現される動きはない。
それだけに、この条約の存在が一層の重みを持つ。
その基本的視点は、条約では子どもを権利主体、法的人格者と認め、その権利を保障していることである。
その主な内容は、
 
    意見表明権‐子どもは未成年でも自分に影響する事柄について自由に意見を述べうるし、その意見は法的に尊重されなければならない。

   
    権利保護の前提として差別の禁止(前文3項・2条)が定められる。
そこでは、子のみならず親の人種・皮膚の色・性・言語・政治的その他の意見・国民的民族的社会的出身・財産・障害・出生などによる差別を禁止する。
前文、さらに条約の規定として、この差別禁止が強調されていることが、ここでは特に高く注目してほしい。

   
    条約は子どもの成長のために親及び家族を保護する。
子どもは、親を知る権利、親により養育される権利を持つ(7条)。
子どもは家族関係を含むアイデンティティを保全する権利を持ち(8条)、差別的に親の意見に反して分離されない(9条)など、これまでの家族法にない進歩的規定がめだつ。

   
  なんといっても、いかに施設が充実しても、子どもの幸福の基盤は家庭生活にあることを、改めて現代の人間に問いかける貴重な条約といえよう。
 日本はいつまで、この条約の趣旨から遠い家族法の現実に固執するのか。改めて時代に見合った法改正の必要性を強くアピールする次第である。
 
           
           
      (平成15年5月ご寄稿)  
           
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